なぜ女装子は公園に集まるのか?
今でこそ公園に行かない女装子・女装男子は増えてきているが、これまでの
近代以降の女装史を見ていると、女装子の中心コミュニティは間違いなく公園であるし、
今でも女装子の一部は公園に集まり、公園で物語を紡ぎ、公園で思い出を刻み、
公園で愛を奏でる。
なぜ、公園なのか?女装子にとっての公園とは何なのか?
もくじ
なぜ女装子は公園に集まるのか?
切っても切れない女装子と公園の関係。
なぜ女装子は公園に集まるのか?
公園と女装子の歴史
そもそも、近代以降の公園と女装子の歴史とはどのようなものだったのか。
そこから振り返ってみたい。
実は、日本において女装が公的に禁止されていた時期があったのをご存じだろうか?
そう、明治時代である。
司法省によって異性装禁止令が発令され、女装が法的に禁止されていた時期があった。
この時期は第一次世界大戦、第二次世界大戦前であり、
男性の兵力は国力にとって死活問題であり、男性の女装など言語道断であった。
まだたった100年前の話である。
今でこそ、私も女装ワールドなる女装の情報媒体を運営しているが、
こんなもの明治時代であれば一発でアウト、私は今頃投獄されていたに違いない。
もし私が明治時代に生まれていて女装にハマっていたら「栗原事件」なる
投獄事件が起こっていたかもしれない。。。
とまぁ冗談はおいておいて、
そこから第二次世界大戦、大東亜戦争を経て日本は終戦を迎え、
異性装禁止令はなくなり、アンダーグラウンドではあったものの、
女装をしただけで投獄されるようなことはなくなったのである。
そしてその後、すぐに上野公園に男娼たちが再び現れた。
もちろんゲイもいたが、今の女装文化の中のトラニーチェイサーたちも、こぞって
女装した男娼を買い集めに上野公園で集まるようになったのである。
上野公園はすぐに「男娼の森」と呼ばれるようになり、
同時期に、各地の公園でも「女装者が公園に集まる」という文化が派生していった。
その後、ベビーブーム、高度経済成長期を迎えるころには、
各地の公園で女装者たちとチェイサーたちが集まる公園が形成されていく。
いわゆるメッカ公園である。
東京の上野公園、大阪の久宝寺公園…
各地で、「この公園に行けば女装子に会える」というメッカ公園が
造成されていった。
当時はインターネットもなく、「ここに女装子がいる」ということだけが
待ち合わせの目印であった。
女装子やトラニーチェイサーという女装人たちは、
集まることで待ち合わせの目印にし、公園で女装文化をアンダーグラウンドな世界で
造成していたのである。
昼間は家族連れやノンケ、子供たちが遊ぶ公園でありながら、
夜中には違った顔を見せる。女装人たちが集まる夜の宴会場へと変わる。
そんな女装公園が各地で女装文化の中心として機能していたのだ。
そこでお酒を飲み、そこで肉を焼き、そこで出会った者同士がチョメチョメし、
その女装公園がハブになり、女装人同士が交流を深めていった。
間違いなく、戦後~1990年代後半まで、女装文化の中心は
公園にあったのだ。
公園というパブリックさと暗さと開放感と集まる敷居の低さが完全に女装カルチャーにマッチした
公園というには、まさに女装文化に完全にマッチした。
公園というのはパブリックな=公共の場所であり、
まだまだ被差別の対象であったりバッシングの対象であった
アンダーグラウンドな女装子たちが表に出れないながらも、
そのパブリックさを味わえる場所が公園だったのだ。
女装をして昼間に街を歩こうものなら白い目や石を投げられる…
そんな時代であっても、外を歩きたい…
それが夜中の女装公園だったのだ。
そして、暗さも公園が女装文化の中心になることに寄与した。
今でもそうだが、公園の暗さは、女装子たちの真実の姿をカモフラージュした。
今ほどメイクグッズも進んでいない、メイクノウハウもシェアされていない中、
それでも女になって公園に通う…
公園の暗さは女装子を見た目も女にしたのだ。
そして何より、公園は無料で集まれる。
これは今でもそうだが、それが敷居を一気に下げた。
誰もが集まれる。
貧乏も金持ちも、身分的な差もすべてを超えて集まれる場所。
それが公園だったのだ。
このような、条件が重なってアンダーグラウンドな趣味にならざるをえなかった
女装文化にとって、公園はなくてはならない社会的な機関=アソシエーションになったのである。
女装と公園の未来
2000年代になり随分とインターネットも普及し、人々は
必ずしも公園などのリアルな場所に行かずとも、
オンライン上で待ち合わせをして、好きな場所に行くことができるようになった。
この頃から、公園はメッカ公園一極集中ではなく、
各地でさまざまな公園に女装人が分派していった。
そして、2010年頃には女装文化がオーバーグラウンド化してきていた。
「男の娘」という言葉も登場し、
女装のお店も随分と増え、女装人が集まる場所は必ずしも公園だけではなくなった。
もちろん、それ以前にも、女装バーやスナックは存在したし、
女装サロンも存在したが、料金が高かったり、都市部にしかないものであったりし、
決して、女装人の誰もが利用できるものではなかった。
そんな中、女装人全体における公園の利用率、利用頻度は減少傾向をたどっていく。
LGBT文化や2015年の女装子の流行語大賞ノミネートなど・・・
とにかく、女装がオーバーグランド化しつつある中で、
もはや「女装など関係ない普通の一般のスポット」に出かける女装人も増え、
女装人の集まる場所はますます分派していった。
そんな中でも、公園に集まる女装子は一定数存在する。
そこに集まるトラニーチェイサーも存在する。
とくに、地方部ではまだまだ公園が中心スポットになっている場所も少なくない。
都市部であっても、公園系と呼ばれる一派はいまだに根強く存在している。
それは先に述べた、公園のパブリックさと暗さ、敷居の低さがあまりに
女装文化にマッチングしているからに他ならない。
これからも女装子は公園に集まるだろう。
公園という場所が、今のままあり続ける限り。
公園に、女装子は集まり、
そこで物語を紡いでいくのだ。
公園よ、ありがとう。
今日も、女装の夢を、大きな空にかけておくれ。
そして先人の吐息を吸い込んだ木々とともに、
私たちを見守っておくれ。
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